心について
恬淡虚無(てんたんきょむ)、何事にもとらわれない心で
心の問題は当院の専門でなく、また未熟なため、良い答えを出すことができません。
しかし当院も心については非常に大切であると健康を崩して実感しており、真剣に勉強していかなくてはなりません。
大きな出来事があった時、本当に心の重要性が分かります。
平時から訓練しておかないと、いざとなった時あわてふためき、心が萎えてしまいます。
皆様にも
・真の意味での宗教
・哲学
・心理学
・瞑想など
普段から真剣に学んでおくことをおすすめします。
仏教では貪瞋痴(とん・しん・ち)、貪り、怒り、無知が苦しみを作るといっています。
また菩提心、他人に対するあわれみの心や慈しみの心を育てる重要性を説いています。
養生法を著した貝原益軒先生も貪りと怒りが健康を一番損なうと書いています。
東洋医学(中国古代医学)には「恬淡虚無」と言う言葉が出てきます。
これは「物事にこだわらず、心にわだかまりを持たないこと」という意味です。
この言葉は『素問』という文献の『上古天真論』という章に載っています。
『素問』は中国古代医学の根幹をなす文献であり、バイブルに相当するものです。
『素問』の『上古天真論』には、病気にかからず健康を保つための要素が書かれています。以下はその文章です。
【書き下し文】
夫れ上古の聖人の下を教ふるや、皆之を謂うに虚邪(きょじゃ)賊風、之を避くるに時有り。
恬淡虚無なれば、真気之に従い、精神内に守り、病いづくんぞ従い来たらん。
是れを以て志閑なれば欲少なく、心安んじて懼(おそれ)ず、形を労して倦(う)まず、気に従ふを以て順となし、各おのおの其の欲するに従ひて、皆な願う所を得る。
故に其の食は美にして、其の服を任じ、其の俗に楽しみ、高下相慕はず、其の民故に朴(ぼく)と曰ふ。
是れを以て嗜欲も其の目を労する能はず、淫邪も其の心を惑はすこと能はず。
愚智賢不肖(ぐちけんふしょう)も物に於いて懼さず、故に道に於いて合し、所以ゆえに能く年皆な百歳を度して、而して動作衰えざる者にて、以て其の徳を全くして危(あやう)からざるなり。
【現代語訳】
太古の聖人が下々を教化するに、虚邪の人を害するを避けるには時機というものがあるという。
恬淡虚無であれば、真気が順調に流れ、精神は内守り、どうして病が入り込む余地があろうか(入るこむ余地はない)。
心がゆったりとしていれば、欲は少なく、心は安らかで、何事にも心配することなく、体を使いすぎたり、怠け過ぎたりすることもないので、気のめぐりのままに従い、それぞれの欲するところに従って、皆がその願う所を得ることができる。
だから、食べものをおいしくいただき、衣服もあるものでよしとし、世の中を楽しんで、身分や高下を羨ましがらず、人々は朴訥であると言われる。
嗜欲が人々の目をまどわせ、労することはなく、淫邪が人々の心を惑わすこともない。
誰もが何かに捉われるということなく、道に従うので、百歳になっても動作が衰えない。
徳を全うし、危うきことはないのである。
以上のように、中国古代医学は老荘思想を取り入れています。
小賢しく振る舞うよりも、朴訥で無欲な心を持つ方が、心が穏やかになり、病気にもかからず、万事うまく運ぶと言えます。
しかし、当院を含め、人間はどうしても小賢しく、小さなことにこだわってしまうものです。
これでは自ら寿命を縮めてしまうことにもなりかねません。
自らへの戒めも込めて、常に恬淡虚無の心構えを忘れずにいたいものです。
高僧白隠禅師のイメージ療法「軟酥の法」
軟酥の法とは、「駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」と称された白隠禅師が著した『夜船閑話』に記された治療法です。
この著作は、白隠禅師が修行のし過ぎで身体を壊された時の闘病録と治療方法が書かれています。
この軟酥の法は、イメージを使うだけで、お金もかからず、効果の高い治療法です。
本文には「もし怠らず懸命に行えば、どんな病気でも良くなる」と書かれています。
覚えておくと必ず役に立つでしょう。オリジナルを読むことは大切です。
軟酥の法の部分の原文と意訳を以下に載せておきます。
【原文】
『予が曰く、酥を用ゆるの法得て聞いつべしや。幽が曰く、行者定中四大調和せず、身心ともに勞疲する事を覺せば、心を起して應に此の想をなすべし、譬へば色香淸淨の輭酥鴨卵の大さの如くなる者、頂上に頓在せんに、其の氣味微妙にして、遍く頭顱の間をうるほし、浸々として潤下し來つて、兩肩及び双臂、兩乳胸膈の間、肺肝腸胃、脊梁臀骨、次第に沾注し將ち去る。此時に當つて、胸中の五積六聚、疝癪塊痛、心に隨つて降下する事、水の下につくが如く歴々として聞あり、遍身を周流し、雙脚を温潤し、足心に至つて即ち止む。行者再び應に此の觀をなすべし、彼の浸々として潤下する所の餘流、積り湛へて暖め蘸す事、恰も世の良醫の種々妙香の藥物を集め、是れを煎湯して浴盤の中に盛り湛へて、我が臍輪以下を漬け蘸すが如し、此の觀をなす時唯心の所現の故に、鼻根乍ち希有の香氣を聞き、身根俄かに妙好の輭觸を受く。身心調適なる事、二三十歳の時には遙かに勝れり。此の時に當つて、積聚を消融し腸胃を調和し、覺えず肌膚光澤を生ず。若し夫れ勤めて怠らずんば、何の病か治せざらん、何の德か積まらざん、何の仙か成ぜざる、何の道か成ぜざる。其の功驗の遲速は行人の進修の精麤に依るらくのみ。』
榛原守一氏が作成された『小さな資料室』のサイトの原文を抜粋しました。サイトには全文がありますので参考にしてください。
『小さな資料室 資料310 白隠禅師「夜船閑話」(やせんかんな)』
http://sybrma.sakura.ne.jp/310hakuin.yasenkanna.htmlより抜粋
【意訳】
「酥を用いる治療法を教えていただけないでしょうか」私(白隠)が訊ねた。
白幽子がこたえた「修行中のものが病気になり、心身共に疲弊を感じた時、一念発起し、軟酥の法を行いなさい。
例えば色香が清浄なカモの卵くらいの大きさの軟酥(バターのようなもの)が頭の天辺に載っていることを想像せよ。
この軟酥の気味は何ともいえない絶妙なものであり、だんだん溶けていって、あまねく頭全体を潤し下って、肩、両腕、両乳、胸と横隔膜の間、肺肝胃腸の五臓六腑、背骨、骨盤を次第に潤し下る。
この時に胸のつかえ、腫塊は、心に従い下りていくことは、水が高きより低きに流れるが如くである。
全身をあまねく流れ、両脚を温め潤して、足裏に至って終わる。
修行者は何度もこのイメージを行わなければならない。
この軟酥がだんだんと潤し下り、積もり積もって温め浸すことは、あたかも良医が妙香の薬物を集め、煎じて浴槽に入れて、自分の臍より下をつけ浸すようである。
この軟酥の法を行う時、心がイメージしたように鼻にめずらしい香りを嗅ぎ、全身は妙好の感覚がある。
心身が調い、二、三十歳の時よりはるかに体調が良くなる。
このとき身体のつかえ、腫塊を融解し、胃腸を調和し、皮膚の色艶が良くなる。
もし怠らず懸命に行えば、どんな病気でも良くなる。
どんな徳でも積める。どんな仙人にでもなれる。どんな道でも成し遂げることができる。
効験の遅速は修行者が丁寧に懸命におこなうか、荒っぽく、いい加減に行うかによる。」
(意訳byりょうてん)
イメージさえできれば簡単です。
頭の天辺に軟酥というバターのようなかぐわしい塊があり、それが溶けて体を降りていき、身体全体に浸透し、悪いものを溶かし、足の裏まで降りていきます。
このイメージを何回も行います。バターが嫌いなら自分の好きなものでイメージすればよいです。
きれいな滝の水を頭からかぶることをイメージする気功法もあります。
おなじ意図です。効果は折り紙付きで、効果の遅速は懸命さによると書かれています。